(7) 挨拶の大切さ

突然、怒鳴り声が響き渡った。

 

上級者レーンの真ん中で、初老の男性がもう一方の初老の男性に、顔を真っ赤にしながら大声で怒鳴り散らしはじめる。すると、数言目かの言葉にカーッとなった相手が一段と大きな声で返す。掴みかかれる距離で罵り合っているが、幸いお互い手は出さない。子供達も見ているのに、実に見苦しい。実に情けない。この施設は半球状の構造だから、二人の大音声は増幅され共鳴し響きわたり、何を言っているか聞き取れない。我を失った二人の言い争いは長引くようなので、このまま黙って見ているわけにもいかず監視員がプールサイドから一言二言告げた。それに促されてか、さすがに他の泳ぐ人の邪魔になることには気づいたようで、決着を付けるべくプールから出て、トイレの方に移動することになったらしい。その間もずっとエキサイトは続いた。周りから見えない落ち着き先でもワーワー続いた。ものすごい怒りとスタミナである。ゆっくり温泉の湯船につかり柔軟体操をしてから、シャワーを浴びてロッカールームで着替えていてもまだ怒鳴り声が聞こえていた。初老の二人とそれを見守る監視員を想うと、滑稽にさえ思えた。

 

なぜこんなことが起きるのか。

 

同じコースを使う者同士、まずは警戒を解く程度の、かつ、相手との距離を縮める意図のない程度の、さりげない挨拶というか、軽い会釈でもいいから交わせれば理想的だと思う。が、いざ泳ぎ始めると、特にゆっくり長く泳ぐ人に、そのタイミングはない。

 

もし相手が長く泳げない人だった場合、こちらがある一定程度の時間、コースをほぼ占有してしまうことや、こちらのペースに気を遣ってもらうことに対する、それらの申し訳ない気持ちを表したくても、そのためにわざわざ途中で休みを入れるわけにもいかない。前の泳者が休みを入れた時にそれを抜き去るターンの時、一瞬そのタイミングがありそうだがゴーグル越しでは気持ちは伝わらない。(時には伝わっているかもしれない)

 

また、もし長く泳げる同士で、かつペースが合わない場合、しかも自分の泳ぎのペースを貫き通す意志の強い者同士だと即発の状態となる。最悪は、どちらともなく意地っ張りな体力勝負をし始めたりするから厄介だ。たとえそうではなくても、あくまで自然の成り行きで、より体力のある上級者が、前を行く泳者に追いつくのは必然である。そこで前者も後者も譲り合えば済むことなのに、底意地の悪い泳者だと故意に、その後にピタッとくっついて、邪魔だそこどけと言わんばかりのプレッシャーを与えてくる輩もいる。偶然か、偶然を装ってか、後ろから足に触れてくることもある。前を行く泳者は、後ろにくっついてくる泳者が、流れに乗って楽な泳ぎができることがわかっているので余計に癪に障る。だから意地でも譲ろうとはしない。

 

おそらく今回のケースもそんな日常的に起きうることが原因だったのだろう。しかも両者は常連だから、暗黙の了解的な心遣いができなかったはずはないのだが、年甲斐もなく、やらかしてしまった。

 

この二人は、同じ時間帯でよく見かけるし、ゆっくり長く泳ぐ常連ではあるが、おそらくロッカールームや通路や温泉の湯舟などで一度も挨拶を交わしたことがなかったのだろう。日頃の挨拶ができていれば、あんなにまで互いを罵倒し続けるなどまずあり得ない。

 

公共の場なのだから、相手が理不尽にあるいは勘違いして、我を通してくる場合もある。だから日頃から自分の距離感を示すサインとしての挨拶が必要だろう。相手に返してもらうつもりのない程度の何気ない会釈に、これ以上、間を詰めてこられては困るという意志を込めつつ。もともと挨拶は、必要に迫られた人間の知恵としての行為だと思うし、プールに来た第一義的な目的は、体を動かしに来たわけだからその場にふさわしい最低限、和を乱さない挨拶や会話にとどめたい。

 

学校の先生上がりかなんかわからないが、挨拶がないことを嘆いているのかもしれないが、自ら率先して声掛けして、その場に似つかわしくない両手を使った握手と、とても大げさにひけらかすように挨拶を求めてくる初老の男性がいる。これも公共の場ではやりすぎに感じる人もいるだろう。特にスポーツの場での挨拶は、何気なくスマートにしたいものだ。